こんにちわ!
くじゃくクラブでは年明けに凧作りをしました。
好きな絵をかき竹ひごと紐をつけたら完成です。
早速、外遊びでは凧あげをしました。
みんな思いっきり走り回っていましたよ~
この日は風が強くてとてもよく凧が飛びました!
ブライトリング、創業140周年の節目に200本限定のナビタイマー コスモノート ジャパン リミテッドを発表
ブランドの140周年、そして日本独自のカスタマーサービスであるクラブ・ブライトリングがスタートして30周年という記念すべき年に、特別な日本限定モデルをご用意しました。24時間表示のナビタイマー B02 クロノグラフ 41 コスモノート ジャパン リミテッドは、オリジナルを忠実に再現した手巻きムーブメント、マニュファクチュール キャリバーB02を搭載。ステンレススチールケースにプラチナベゼルを採用した、日本限定200本のスペシャルタイムピースです。日本では特に高い人気を誇るコスモノートだからこそ、オンラインでのご購入を希望する方を対象に、抽選会を開催いたします。
ブライトリングスーパーコピー 優良サイトナビタイマー B02 クロノグラフ 41 コスモノート ジャパン リミテッド
1962年5月24日、スコット・カーペンターがナビタイマー コスモノートを装着してマーキュリー・アトラス7号で飛び立った時、このモデルは正式に世界で初めて宇宙に飛んだスイス製腕時計型クロノグラフとなりました。かの宇宙飛行士の要望に応え、アイコニックなナビタイマーに宇宙の暗闇の中で昼と夜を区別するための24時間表示の文字盤を与えられた、手巻き式クロノグラフ、コスモノートです。
ブライトリング創業140周年の節目に、ブライトリングの初挑戦の歴史を色濃く体現するコスモノートから、200本限定の特別なタイムピースが登場します。ステンレススチールケースにプラチナベゼルを採用。搭載されるのはもちろんコスモノートのために開発されたマニュファクチュール キャリバーB02。
ストラトスグレー文字盤、あたかもエイジングしたかのようなルミノヴァのカラーリングなど、ヴィンテージ・クロノグラフの味わいを堪能していただける仕上がりに。さらに、プラチナ製ベゼルを組み合わせることで、このモデルをいっそうスペシャルな存在へと昇華させています。
宇宙飛行士のために生まれた逸話を持つ、一日の大切さをも感じられる24時間表示の際立った個性。この時計は、世界で、日本で200人しかいないオーナーを、見るたびに非日常へと連れ出します。
このナビタイマー B02 クロノグラフ 41 コスモノート ジャパン リミテッドの発表に際して、9月12日午後9時から10月11日午前7時まで、オンラインでの購入を希望する方にその権利が抽選で当たるオンライン抽選会を開催いたします。
詳細はブライトリングオフィシャルサイトの特別ページ:
( https://www.breitling.com/jp-ja/campaigns/cosmonaute-japan-raffle/? )にてご確認ください。
なお、製造される200本のうち、抽選対象以外の商品は11月12日以降(予定)、国内のブティック・正規販売店で販売される予定です。
【お問い合わせ】
ブライトリング・ジャパン
0120-105-707
https://www.breitling.com/jp-ja/
[ブライトリング]
1884年に設立されたブライトリングは、スイスを代表する時計メーカー。近代のクロノグラフを発明し、ナビゲーションツールウォッチのパイオニアとなった革新的な企業です。現在もカジュアルで包括的かつサステナブルな高級ブランドとして、世界で150以上のインダストリアル・ロフトにインスパイアされた店舗を展開しながら、新境地を開拓しています。ブライトリングのコレクションは空、陸、海へのあこがれを追求し、ブランドの確立されたモダンレトロスタイルを貫いています。すべてのムーブメントが COSC認定クロノメーターであることは、その卓越した品質を証明しており、ブライトリングはマニュファクチュールキャリバーを製造する数少ない独立系時計メーカーの1つです。伝統的な時計製造と最新のイノベーションが共存しているブライトリングは、長い歴史を誇りながらも同時に時代の先端を行く企業です。
くじゃくクラブでは夕方になると料理屋さんやマッサージ屋さんなど色々なごっこ遊びが始まります。
そんな中、今日はくじゃく学校が開校しました
音楽の先生や国語の先生など教科によっても先生が違うようで、生徒にはぬいぐるみも参加しています(^^♪
シフトを組んで時間交代したり、先生の休憩時間があったりとよく大人のことをみているなと感心です
しかし、生徒をまとめるのは難しいようで「みんながいうことを聞かない」と困っていました
今日もどんな遊びが生まれるのか楽しみです!
寒くなってきましたね!
10月に入ると恒例の毛糸編みが始まります。
基本はマフラーですが筒状に編みあがるのでアレンジできればなんでもOKです。
マフラーのほかにハンドウォーマーにしたりする子もいます。
くじゃくクラブでは男子が熱心で男子手芸部がお友達とのんびりお話ししながら毎日せっせと作業中です。
すでに2本目に取り掛かっている子もいます。
そんな,なごみタイムのくじゃくクラブでした!
BABY-Gの腕時計「G-MS(ジーミズ)」から新作モデル
アクティブな女性のためのカジュアルウオッチ“BABY-G”の上位ライン「G-MS(ジーミズ)」から「MSG-W200」シリーズから、スタイリッシュで環境に優しいエコ素材を取り入れた合成皮革バンドのモデルを発売。
表材には、高耐久ポリカ樹脂を使用した合成皮革を採用。加水分解を防ぎ、長期間の使用にも耐える耐久性を備えています。また、バンドの芯材と裏材には、PET材などのポリエステル成分を原料とした廃材を使用しています。環境に配慮し、持続可能な素材で作られています。
機能面では、世界6局の電波を受信し時刻を自動修正するマルチバンド6、ワールドタイム、タフソーラー等、頼れる機能を備えています。 アクティブシーンで役立つ機能はそのままに、環境への配慮と高いデザイン性を両立したアイテムです。 アクティブシーンで役立つ機能はそのままに、ウブロ スーパーコピーオンタイムからオフタイムまで活躍する「G-MS(ジーミズ)」です。
【概要】
MSG-W200RL-1A
ストラップカラー:ブラック
34,100円(税込)
発売中
https://www.casio.com/jp/watches/babyg/product.MSG-W200RL-1A/
MSG-W200EL-5A
ストラップカラー:トープ
31,900円(税込)
発売中
https://www.casio.com/jp/watches/babyg/product.MSG-W200EL-5A/
取扱店舗:全国のBABY-G販売店舗、公式オンラインストアなど
【お問い合わせ】
カシオ計算機 お客様相談室
0120-088925(時計専用)
F1(フォーミュラ1)が創設75周年を迎える2025年、タグ・ホイヤーがF1の公式タイムキーパーに復帰
タグ・ホイヤースーパーコピー 代引きN級品は、1969年に高級時計ブランドとして初めてF1マシンにそのロゴを飾り、1971年に初めてチームのスポンサーとなると、チームとの提携を通じてこれまでF1で239勝を挙げ、表彰台に上ること613回、9,471ポイントを獲得。ワールド・コンストラクターズ・チャンピオンシップに11回、ワールド・ドライバーズ・チャンピオンシップに15回にわたって輝くなど、F1史上最も成功したブランドのひとつに数えられています。
70年を超えるF1の長く豊かな歴史の中でも、2025年は、ラグジュアリー、高精度、革新性、パフォーマンス、スピードを体現する特別なパートナーシップの復活を祝う年となります。
タグ・ホイヤーとF1のパートナーシップは、精密工学、最先端技術、アヴァンギャルドな素材、正確さ、そして自己ベストをさらに超えていくという揺るぎないコミットメントにひたむきに打ち込むことにより、モーターレーシングを超えて2つのアイコニックなブランドが共有する理念を体現しています。
数十年にわたる絆
1860年創業のタグ・ホイヤーは、早くから計時機器の製造で名声を確立し、1911年には世界初のダッシュボード搭載クロノグラフを発表します。 1916年に同社が1/100秒の精度を誇る初のストップウォッチ「マイクログラフ」を発表すると、この計器がスポーツでの高精度計時のスタンダードとなります。1950年代、F1が黎明期を迎えたころ、当時の社名であった「ホイヤー」は、時間を最も重要視する人々のための時計としてクロノグラフを位置づけ、クロノグラフ機能付腕時計を製造することを決定しました。
ホイヤーがモータースポーツやドライバーたちと密接に関わるようになったのは、1960年代にF1が人気を博すようになってからです。最初の重要な瞬間のひとつとして挙げられるのが、ドライバーズとコンストラクターズのチャンピオンに輝き、1970年にロータスでこの世を去ったヨッヘン・リントという有名なF1ドライバーが、そのレーシングキャリアを通して「ホイヤー オータヴィア」(Ref. 2446) を着用していたことです。
(左上)ジャック・ホイヤー、(左下)ジャック・ホイヤーとF1ドライバーのクレイ・レガツォーニとジョー・シフェール。(右下)ラリー マスター、(右上)1962年発行のカタログの表紙
当時このファミリーカンパニーのCEOだったジャック・ホイヤーが、スイスのフリブール出身の才能豊かな若きドライバー、ジョー・シフェールに出会うという、極めて重要な瞬間が訪れます。ホイヤーがシフェールと結んだ契約は、1969年シーズンに彼が駆るロブ・ウォーカーチームのロータス49Bにホイヤーのロゴを入れ、レーシングスーツにホイヤーシールドをあしらい、新しいムーブメントを搭載したホワイトダイヤルの「オータヴィア」(Ref. 1163) を着用することで、画期的な自動巻クロノグラフ「キャリバー11」の発表をするというものでした。
ロータスを運転するジョー・シフェール
これによって、ホイヤーが従来の自動車関連企業以外の時計や高級ブランドとして、初めてF1ドライバーのスポンサーになり、自社のロゴをF1マシンに飾るという快挙を成し遂げます。しかしこれは、ジャック・ホイヤーがモーターレーシングを中心とするスポーツマーケティングを根本から変えてしまう革命的な戦略の始まりに過ぎませんでした。
ジョー・シフェール
ホイヤー オータヴィア(Ref. 1163)を着用するジョー・シフェール
スクーデリア・フェラーリ、マクラーレンと提携
1971年、フェラーリは、イタリアのフィオラーノに初めて建設した専用のテストコースに採用するための計時システムを探していました。世界有数の計時機器を製造していたことから、ホイヤーが選ばれるのは当然のことでした。そこでホイヤーは「ル・マン・センチグラフ」と呼ばれる新しい装置を開発し、フェラーリチームがこの施設で新しいマシンとドライバーの計時を行えるようにしたのです。
ル・マン・センチグラフ
「ル・マン・センチグラフ」とともにその操作者として名を馳せたホイヤーの社員、ジャン・カンピチェは、モータースポーツ計時の世界で「ピアニスト」の異名を持つ伝説的な人物で、フェラーリチームとともに世界中を飛び回り、ピットウォールからは独立した計時を行い、1975年にはニキ・ラウダとともにフェラーリがドライバーズとコンストラクターズの両方のチャンピオンシップを制覇するのに貢献します。
1974年モナコでのジャン・カンピチェ(中央)
BRM、マクラーレン、サーティースといった他のチームも、この計時ソリューションの成功を目の当たりにすると、自分たち用に同じ計時機器が欲しいと熱望するようになります。
ホイヤーとフェラーリの関係は1979年まで続き、その後マクラーレンと結んだチームパートナーシップはF1史上有数の長期にわたるものとなります。1985年、ホイヤーはマクラーレンF1チームのオーナーでもあるテクニーク・ダバンギャルド (TAG) グループの傘下に入ります。
フェラーリチームと談笑するジャック・ホイヤー(左)
これにより、「タグ・ホイヤー」という新しい社名が誕生し、1986年にはアラン・プロストとともにドライバーズ・チャンピオンシップを制したマシンMP4/2Cのフロントガラスにも新しいロゴが飾られることになります。
同年、タグ・ホイヤーは、「タグ・ホイヤー フォーミュラ1」という絶妙なネーミングの画期的な新作時計のコレクションを発表します。常識を覆す鮮やかなカラーのケース、ストラップ、ダイヤルを備えたこのモデルは、文化的な影響力を持つようになり、驚くほどの成功を収め、タグ・ホイヤーとモータースポーツとのかけがえのない絆を証明するものとしてこの時代の必携のアイテムとなりました。
タグ・ホイヤー フォーミュラ1 シリーズ1
もうひとつの重要な瞬間が起きたのは1988年。アイルトン・セナという若き新進気鋭のブラジル人ドライバーがマクラーレンに移籍します。翌シーズンから、彼はタグ・ホイヤーの時計を着用するようになり、3度のF1ドライバーズ・チャンピオンに輝くまでの道のりをタグ・ホイヤーは見守り続けました。残念ながらセナは1994年にこの世を去りますが、タグ・ホイヤーとともに築いた彼のレガシーが消えることはありません。タグ・ホイヤーは現在もセナ財団と協力し、セナが多くの人々にとって世界的なアイコンになった理由である彼の競争心と価値観を称えています。
アイルトン・セナ
1992年、タグ・ホイヤーはF1の公式タイムキーパーとなり、その卓越したノウハウを駆使して、このスポーツにおける計時ソリューションの精度と信頼性をさらに向上させていきます。データの収集と処理に加えて、タグ・ホイヤーの計時システムが、自宅でF1レースを視聴するファンに新たな次元のエンターテイメントを提供し、世界中のテレビ画面に映し出されるタグ・ホイヤーのロゴが、このスポーツを象徴するビジュアルとなりました。
現代のタグ・ホイヤーとF1
タグ・ホイヤーは、ミカ・ハッキネンの活躍により、21世紀直前の1997年と1998年にマクラーレンが2度にわたりドライバーズ・チャンピオンを制覇するのにも貢献します。V10エンジンからV8エンジンへの移行、名ドライバーたちの熾烈なライバル争い、未来のスターたちのパドックへの登場など、2000年代はF1にとって激動の時代となります。
ミカ・ハッキネンとタグ・ホイヤー 6000シリーズ ミカ・ハッキネン リミテッドエディション(Ref. CH1114)
マクラーレンに新たに加わったドライバーの中には、ルイス・ハミルトンという稀有な才能の持ち主もいました。彼はF1で驚異的な記録を残し、2008年にはタグ・ホイヤーを着用して初のワールド・ドライバーズ・チャンピオンに輝きます。
タグ・ホイヤー フォーミュラ1 クロノグラフ(Ref. CAH1113.BT0714)
2015年、30年にわたり数々の成功を収めてきた協力関係に終止符を打ち、タグ・ホイヤーとマクラーレンはそれぞれ別の道を進むことを決断します。2016年、タグ・ホイヤーは、短期間のうちにF1にすさまじい功績を残していたチーム「レッドブル」と手を組むことになります。
タグ・ホイヤーとオラクル・レッドブル・レーシングの関係は、マックス・フェルスタッペンの比類ない才能と世代を代表する活躍により、4度のドライバーズ・チャンピオンシップ、2年連続でのコンストラクターズ・チャンピオンシップ制覇をもたらします。タグ・ホイヤーとオラクル・レッドブルとのパートナーシップは、F1公式タイムキーパーとしての責務とともに継続されます。
2021年のモナコGPにて勝利を祝うマックス・フェルスタッペン(中央)とチームメンバー
新たな時代の始まり
バティ・メディアの傘下であるF1は、近年、世界で最も文化的意義が高く、成功を収めているスポーツイベントのひとつとなりました。世界中に7億5,000万人のファンがいるだけでなく、SNSのフォロワーは9,000万人を超え、そのファン層は若年化・多様化し、現在ではファン層のうち42%が女性、3人に1人が35歳以下です。15億人の視聴者が壮大なシーズンに釘付けとなった2024年は、マクラーレンとフェラーリが激しいバトルを繰り広げ、コンストラクターズの優勝決定は最終戦のアブダビにまでもつれ込みました。
モーターレーシングの計時における華やかな歴史を誇るタグ・ホイヤーは、F1人気の高まりを受け、2025年から再びF1の公式タイムキーパーとして復帰することに胸躍らせています。
「精神的な粘り強さ、強靭な肉体、戦略、イノベーション、パフォーマンスによって特徴づけられるF1というスポーツにおいて、タグ・ホイヤーが公式タイムキーパーとしてF1の中心的役割を果たすのは当然のことです。数十年にわたりF1の歴史に深く関わり、数々の伝説のドライバーやチームと共に歩んできた私たちにとって、自分たちが「時間」によって勝者を決定づける存在であることを大変光栄に思います。F1とそこに参戦する卓越したチームが、スポーツ界で最も偉大な財産のひとつを作り上げるために行ってきた素晴らしい活躍をさらに発展させていく旅路に私たちも参加することで、タグ・ホイヤーをより豊かなものにする新たなストーリーを創造できることを楽しみにしています。」(タグ・ホイヤー CEO アントワーヌ・パン)
リシャールミル スーパーコピー 代金引換優良サイト「何十年もの間F1の代名詞であり、過去と現在の伝説を連想させる名前を持ち、モータースポーツにまつわる様々なストーリーを語り継ぎ、私たちの価値観を完全な形で受け入れてくれるブランドをパートナーに持てることは素晴らしいことです。革新性、正確性、卓越性を重視するタグ・ホイヤーは、F1の公式タイムキーパーとして理想的なパートナーです。F1が創設75周年を迎えるにあたり、私たちの交錯する伝統と歴史が、未来に向けてどのように新たなストーリーを紡いでいくのかとても楽しみです。」(F1会長兼CEO ステファノ・ドメニカリ)
2025年は、タグ・ホイヤーとF1が数十年にわたり築いてきた歴史の中で、華々しい新時代の幕開けを告げるものとなります。F1の公式タイムキーパーとして、タグ・ホイヤーは、サーキットサイドでのブランディング、ファンゾーンやパドッククラブでのアクティベーション、F1のドラマと興奮を凝縮した新しい製品シリーズを通じて、サーキットの内外で大きな存在感を放っていきます。タグ・ホイヤーは、これからもF1の壮大な歴史をより豊かなものにし続けていきます。
先週末にパネライ銀座ブティックをリニューアルオープンし、来週は大阪のうめだ阪急にてエキシビションポップアップを開催
パネライ銀座ブティックがリニューアルオープン
伝説的なメゾンの世界を体験する招待状
[2023年11月、東京]。パネライの日本における旗艦店、銀座ブティックが最新コンセプトでリニューアルオープンします。これにより、パネライの美学と世界観を体現する場がさらに広がります。
パネライ銀座ブティックは、細部に至るまでブランドの核であるイタリアらしさを体現し、海の世界、現代のヒーロー、そしてテクノロジーなどの要素がシームレスに融合しています。メゾンの本質であるラグジュアリー、伝統、革新、そして冒険のスピリット。訪れる人がそれらに触れ、没入できる感覚の旅へと導きます。
ブティックの外観からすでに外の世界、つまりブティックの前を歩いている人々とのコミュニケーションは始まっています。大胆かつ個性的なパネライのロゴ、ウィンドウディスプレイやビジュアルが、パネライの世界の内側を垣間見るよう誘い、好奇心を刺激し、そして時計職人の世界に足を踏み入れることを後押しします。
店内では、パネライを象徴する文字盤のウォールクロックによって物語が続きます。レトロなグリーンの発光が、すべてのパネライ ウォッチに共通するスーパールミノバ®を想起させます。いかなる環境でも視認性を高めるために戦略的に用いられてきた、夜光の文字盤は、ブランドのDNAを継承し、発光という永遠のテーマを強調しています。そしてウォールに出現するインパクトのあるビジュアルによって没入体感が増幅します。
コンクリート、大理石風の床、ウッド、メタルといった素材のハーモニーが息づく店内には、独特の香りと音楽が広がり、見た目の美しさだけでなく、ブランドの価値観の表現しています。大理石風の床は、豊富で長い歴史をもつイタリアの建築物からインスピレーションを得たものです。アクセントとなるブルー使いは、ブランドの本質である海との絆に由来します。
商品をディスプレイするレイアウトは、見る人にブランドのストーリーを語りかけるように設計されています。ブランドのスピリットを体現する現代のヒーロー達は、このブティックのデザインのもう1つの要であり、印象的なビジュアルで登場しています。ここでは、お客様はただ時計を購入するのではなく、パネライの世界を構成する現代のヒーロー達の冒険や情熱を感じるのです。
エントランスではスタッフが訪れる人をお迎えし、ご希望に応じてテーブルまたはソファでお話を伺います。イタリアのおもてなしの比類のない魅力が、すべてのパネライ ブティックには浸透しています。まるで家にいるような温かさで、親しみやすく、そして快適さをもつラグジュアリーなスタイルを体験できる空間です。これは、パネライの伝統とアイデンティティへのオマージュであり、その卓越したクラフツマンシップに対する取り組みの証です。
【概要】
パネライスーパーコピー 代引き銀座ブティック
住所:〒104-0061 東京都中央区銀座6-6-1
TEL:03-5568-7111
E-MAIL: ginza@panerai.com
営業時間:11:00~19:00 不定休
1860年から続く、伝説の物語。
エキシビション ポップアップを阪急うめだ本店で開催
[2023年12月、大阪]。パネライは“Since 1860, Una Storia Leggendaria”(1860年から続く、伝説の物語。)をテーマ[※註] に、ラジオミールをフィーチャーし、その歴史を紐解くポップアップを阪急うめだ本店にて開催します。会場にはパネリスティ(パネライ愛好家)所有の希少な過去の名品を特別展示し、ラジオミールの進化の過程を披露します。
1860年にフィレンツェで創業し、1935年にイタリア海軍の要請でプロフェッショナルダイバーズウォッチ「ラジオミール」を、1950年代には「ルミノール」を完成させ、その後は長く軍事機密として秘密のベールに包まれていたパネライ。現在ではスイスにマニュファクチュールを構え、世界中の時計ファンから支持されています。
【催事概要】
パネライ エキシビション ポップアップ~1860年から続く、伝説の物語。~
開催期間: 2023年12月6日(水)~2024年2月27日(火)
住所: 〒530-8350 大阪府大阪市北区角田町8番7号 阪急うめだ本店6階ウォッチギャラリー
電話: 06-6361-1381(大代表)
E-MAIL: hankyu@panerai.com
営業時間: 10:00~20:00 百貨店営業時間に準じる
【※註]「1860年から続く、伝説の物語」については下記の記事をご参照ください。
ラジオミール:伝説の始まり
起源
パネライ家の遺産は1世紀以上にわたり、イタリア海軍のために製造してきた精密機器と密接に関係があります。創業者ジョヴァンニ・パネライが、フィレンツェのグラツィエ橋に1860年に時計店、時計工房、そして時計学校を開きました。この店は数回の拡張と移転を経て、最終的に今日の旗艦店が位置する、サン・ジョヴァンニ広場に落ち着きました。サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の前にあるアルチヴェスコヴィレ宮に店舗を構え、「Orologeria Svizzera」という屋号を掲げ、その権利はグイド・パネライ&フィリオ社が所有していました。
20世紀初頭、オフィチーネ パネライはイタリア王立海軍の依頼を受け、精密機器の納入を開始しました。創業者の孫であり発明の天才、グイド・パネライが1916年に特許を取得したラジウムベースの発光物質「ラジオミール」を用いて、「夜間に魚雷を発射するための自発光照準器」を開発しました。この発明の成功はパネライの運命を決定づけ、イタリア海軍の任務とともに画期的な旅に出ます。
アーカイブに残っている納品書は、ラジオミールのプロトタイプが1935年に軍用時計として提供されたことを示しています。このダイバーズウォッチは、グイドによって作成された特許取得済みの発光物質ラジオミールにちなんで、その名前が付けられています。
直径47mmのゆったりとしたサイズのクッションケースは、文字盤を保護するように成形された側面の形状により、非常に耐久性が高くなりました。ねじ込み式裏蓋とねじ込み式リュウズを備えた構造により、防水性が最大限に保証されます。その他の機能には、直接溶接されたワイヤーループ ストラップアタッチメントが含まれます。幅広のストラップは耐水性があり、潜水士が使用するダイビング スーツの上からも着用できる長さでした。軍事港近くの濁った水中でも視認性を発揮し、さらにその堅牢性と耐水性により、様々な任務のための軍事ユニットに重用される機器としての地位を確立しました。
厳しい軍事要件を満たすために、オフィチーネ パネライは改良を続けました。アワーマーカーと数字をさらに読みやすく発光させるために、文字盤は1枚のプレートから2層のプレートに進化しました。現在ではパネライのアイコンとなっているサンドイッチダイヤルです。この構造はサンドイッチに似ており、2枚のプレートが重ね合わされ、下のプレートは発光物質で覆われています。そして自発光ペーストを完全に保護するために、透明なPerspex®ディスクを介在させていました。これにより、十分な量の自発光物質をダイヤルに充填することが可能になり、その発光は、潜水士が夜間の作戦中に、目立たないように文字盤に泥や海藻などをかぶせる必要があるほどでした。
その後、ラジウムベースの物質は、軍事利用のためにオフィチーネ パネライが考案したトリチウムベースの発光物質に徐々に置き換えられました。1949年1月11日、パネライが「ルミノール」という名称を「あらゆる形態で発光、蛍光、蓄光するなどの製品」に使用するための特許を取得しました。
パフォーマンスと機能は、オフィチーネ パネライの研究の主な原動力です。軍の絶え間なく変化するニーズに対応するために、機器は進化しました。50年代には、ケースが厚くなったため、ラグは同じスティールブロックから直接成形できるようになり、頑丈なモノブロック構造がワイヤーループ ストラップアタッチメントに取って代わりました。
1956年、後にエジツィアーノとして知られるようになった新しいダイバーズウォッチ、Ref GPF2/56が発表されました。8日間のパワーリザーブをもつスイス製アンジェリュス キャリバーを搭載し、直径60mmのケース、潜水時間を計算する目盛り付きの回転ベゼル、そして今日のパネライを最も象徴する要素であるリュウズプロテクターを備えていました。リュウズプロテクターは同年に特許を取得し、エジツィアーノは現代のサブマーシブル コレクションのインスピレーションモデルとして歴史に刻まれました。
ケースの寸法から新しい発光物質の使用まで、細部にわたって改良が進んだ結果、1960年代に、独特のクッション型のケース、幅広でフラットなベゼル、リュウズプロテクターを備えた時計、ルミノールが現在の姿へと完成しました。レバーロック式リュウズプロテクターは優れた防水性を可能にし、リュウズを衝撃から保護し、意図しない操作を防ぎました。
パネライという名は、進化する技術的ニーズ、パフォーマンス、機能を叶える設計のために開発と革新を1世紀ものあいだ繰り返した成果、と同義なのです。
プレヴァンドーム
商用目的ではなく、厳密に軍事用に製造されたプロフェッショナル仕様の時計。軍は、そのデザインと技術が軍事機密として保護された状態で、1970年代初頭までパネライウォッチを使用していました。これらのモデルが一般に公開されるようになったのは、21世紀初頭になってからのことです。
1992年の世界的な経済的および政治的危機に対抗して、オフィチーネ パネライは商業用時計市場の世界に飛び込みました。イタリア海軍潜水部隊のために作成された歴史的なモデルにインスパイアされた、3つのコレクション、44mmサイズのルミノールとルミノール マリーナ、42mmサイズのマーレノストゥルム クロノグラフを発表しました。各コレクションから10本のリファレンスが限定品としてラインナップされ、1993年9月10日にラ・スペツィア軍港で披露されました。この式典には、サー アイモーネ・ディ・サヴォイアの子息であり、当時のイタリア海軍潜水部隊の最高責任者、第5代アオスタ公アメデーオが出席しました。
1996年、アメリカ人俳優シルベスター・スタローンがパネライの時計のカスタムモデルをオーダーし、彼の映画「デイライト」で使用しました。そしてルミノール スライテックとして知られる一連のコレクションが誕生しました。このコレクション名はスタローンのニックネームであるスライにちなんで付けられました。
ヴァンドーム以降
ヴァンドーム グループ(現在のリシュモン グループ) がパネライを買収した1997年に公開されたのはラジオミールだけでした。PAM21というモデルのプラチナケースバージョンが、初のヴァンドームスペシャル エディションとして60本限定で発表されたのです。
この買収により、パネライの歴史は現代へと発展しました。サン・ジョヴァンニ広場の歴史あるブティックを再開し、2002年にはヌーシャテルにパネライ マニュファクチュールを建設し、スイスの高級時計製造と革新的な技術がイタリアの魂に融合しました。そして2005年、パネライは初の自社製ムーブメント P.2002を発表しました。1950年代に使用されたアンジェリュス ムーブメントと同様の8日間のパワーリザーブを備えた、手巻きのGMTムーブメントです。
パネライの海への情熱へのオマージュとして、オフィチーネ パネライはラジオミールが誕生したのと同年代である1936年に伝説的なファイフ造船所で建造されたバミューダケッチ(帆船)のアイリーン号を取得し、修復しました。
ヴィアレッジョのフランチェスコ・デル・カルロ造船所の専門家によって修復されたアイリーンは、2009年10月22日に再び出航しました。この披露式典を記念して、1956年にエジプト海軍向けに設計されたパネライモデル、エジツィアーノの復刻版が発表されました。
未来を見据えたコンテンポラリー
100年以上にわたり、様々な用途でパフォーマンスを発揮するために開発された革新的な機器は、進化する技術的ニーズ、パネライの研究による未来へのプロジェクト、戦略的パートナーシップ、サステナビリティに対応し、そして現代のヒーローに力を与えます。
環境保全の観点から、パネライは、ユネスコの政府間海洋学委員会(IOC-UNESCO)の「持続可能な海洋科学の国連の10年(2021-2030)」における海洋リテラシー活動をサポートしています。このプログラムは、海との相互作用を理解し、その知識を利用できるよう、市民や関係者を支援することを目的とし、より持続可能で公平な社会の実現を目指します。
世界中に170のブティックと一連の特許取得済みの自社製ムーブメントを擁するパネライは、革新性をもって高精度機器の原点を際立たせ、未来に向けて進み続けることを宣言します。
2月3日は節分
くじゃくクラブでは豆まきで鬼退治しました~
鬼が来るかもよ~というと絶対に支援員でしょと
ちょっと現実的なくじゃくっ子たちでしたが
鬼がやってくると「鬼は外!福は内!」と元気に豆を投げていました。
鬼たちは退散。今年も福を呼び込んだ節分でした!
もちろん恵方巻も食べました!